素顔に戻る場所

タイ古式マッサージ沙羅/名古屋市千種区覚王山です。
先日、新聞を読んでいて心に止まった記事があったのでご紹介させて頂きました。タイトルは、「素顔に戻る場所 心の楽屋を探して」精神科医・作詞家のきたやまおさむさんの記事です。カバンの中でしわしわになってしまいましたが、全文写真をアップします。
その文中から抜粋要約

人には、みな表と裏があり本音と建て前を使い分けて生きている。その橋渡しをしているのが自分である。自分も空しさを噛みしめながら生きている。どれだけ詩を書いても著作が多くても空しいと感じるもの。何かをすることで埋めようとしても際限がない。空しさを小出しに先延ばししていると何もない空っぽの状態、空虚と言うモンスターに一気に襲われてしまう。悲劇の一人芝居になる前に助けを求めてほしい。心の楽屋を確保することを意識して! 人生を劇と捉えれば学校や会社の辛い思いをしていても舞台から降りて楽屋に戻れば良いとわかります。安心して本来自分でいる為に必要なのは、ゆにつかっているような「ゆ」の感覚、心がゆるむ事が大切、その楽屋は一つである必要はない。何をするわけでもなくそこに」「いる」だけで幸せを感じられるそこが、究極の楽屋だと・。

老いも若きも同様かも知れませんが、年を経るに従い「意識・感覚・体力・思考・感情・環境」自分を取り巻く全てにおいて急速度で変化する中に自分を置かなければならない。それをひしひしと感じる今日この頃、頑張って頑張って何かをなそうとしても、また何かをなしたとしても漠然と何かが違う。きたやまさんが言う空虚なのかもしれません。多分、それは、誰でも持っているものであり、どうしようもない物だと・・。過ぎ去った日々、これからの未来を生きる中で表と裏、建前と本音の中で演技し時を過ごすのは必然の行程でありその行程に自分の「ゆ」は、あれこれあったと認識している。見えない先も心地よい自分の居場所を確保せよ。そして、己の「ゆ」にゆったり浸かりながら表と裏を過ごす。

「ゆ」
様々な心の楽屋の中でゆったりと「ゆ」につかれてますか? そんなひとつの「ゆ」に私はなりたい!なんてどこかで聞いた文言ですが、いるだけで幸せを感じる「沙羅という「ゆ」が皆様の心の楽屋のひとつになれますように・。
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ヌアットタイ協会

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