こうして話は、進んでいった

こんにちは、沙羅の谷口です。
昨年の7月、緊急事態宣言下のコロナ休業も終わり、それ程のダメージもなく営業が、再開できたことにホットしていたある日、大家さんから店舗立ち退きの話がでました。この年の1月に頑張って営業続けてほしいと言われたばかりでしたので、驚きました。

退去要望は、翌年の3月31日。8か月後です。

それを回避することはできないと理解はしたものの、今後をどうしたらよいかと考えるストレスをかかえながらも相手からのアクションを待つ日々になりました。動き始めたのは、土地活用業者のTコーポレーションさんです。大家さんの代理としてここを窓口に話が、進められていくようでした。勿論、こんな経験は、ない私です。それでも、先方の言う通りに「はい、わかりました」と言うほどお人よしでもないし、今後の沙羅を考えれば、何を根拠にあげて出ていく事を承知したらよいだろうか?と考えるのは、当然のことでした。

9月、「谷口さん、営業を続けるなら相当な店舗をいくつかピックップしたので一緒に見に行きませんか?」Tコーポレーションさんの傘化にあるH・Mさんからの店舗情報より5件提示。まだ、期限は先なのにと思いましたが、これも自身の情報を把握するためでもあると出かけました。途中、豪華なランチをご馳走になり(これも戦略のひとつか?)すべて回りましたが、気に入る所は一つもなし、それでもTコーポレーションさん、どうも、新規店舗を出店するにあたっての見積もりを出したいご様子で焦っていました。まだ、話が出て2か月です。一番広い所で出しておきます。(家賃・保証金・仲介手数料・その他経費を概算で出したい)と勝手なことを言っていた。そうこうしている内に、今度は、内装業者さんを連れていきますと連絡あり、次には引っ越し業者さんを連れていきますと連絡あり、見えるとあれこれお話をフルのですが、時間は長くなるばかりで話しても堂々巡りで良い話は出てこない。

そうして作られた見積書を持って来た。勿論、納得いく数字ではない。
店舗として実績を積み安定の売上を無視できないし、私の個人の見解では相当な判断ができないのではと、ここに至って専門家にお願いすることにした。令和2年も終わろうとしていた。相対して先方も弁護士さんをいれてきた。ここからは、専門家同士の見地で話をして頂き、結論を受け入れて退去すると自分の中で決めた。

1回のやり取りには、時間がかかるが、物事は少しづつ進んでいった。当然、当初の3月31日退去は、無理な状況になっているが、弁護士さんから、それは何ら問題ないから心配しなくてもよいと聞く。逐一、話を事細かに提案して下さり、雑談にもざっくばらんな弁護士さんに私の心の刺々しさも無くなり全て任すと言う絶大な信頼感が、生まれてきた。この頃から、何時までも引きずりたくない思いに退去の日を想定し具体的に、真剣に店舗探しを始める。それは、沙羅をやめると言う選択肢ではなく継続して前に進むと言う選択肢を確固たるものにしていた。

店舗を探す

明けても暮れても夜も寝ずに自分に自分が、追いかけられ始めた。八事エリアから店舗予定地をどんどん広げざるを得ない状況になってきたこの頃、今後の沙羅をどのような形で営業できるかも同時に悩むこととなる。無理をしない!無理をしない!大きな大志は抱かない!己を取り巻くすべての状況の中で沙羅を続けられると言う選択をする。そう、言い聞かせながら。

2003年、ヒーリングスパ沙羅を立ち上げたとき、前途に対する恐れはなく、やりたいことに私は向かっていると言う意欲に燃えていた。あれから18年です。正直言えば、やりたいことをやり切ったね私。そんな思いからこの話が出る前から、自身のフェードアウトを考えていた。どこでいつ私は、ここから消えていくんだろうと、、。自身が選択しなければ、物事は動かないのに、そう思いつつ変わらない日々を沙羅と言う空間の中で仕事していた。

提示の提案に、「先生、もういいと思います。」私は、そう弁護士さんに伝える。この状況と次なる沙羅を考えるだけで疲れており一つの区切りをつけて開放されたかった私。妥当な事を言っているのか?無理難題を言っているのか、私の意思を適格なアドバイスと専門家としての知識からこの事態を終わりに導いて下さった先生は、流石の達人でした。本当に浅井先生に出会えてよかったです。

そうして、4月、沙羅の立退き契約に、終止符が打たれました。同時に具体的な店舗探しが加速していきます。残す営業は、後2か月しかありません。

後日へ続く・。

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