2006年7月24日
明けきらぬ梅雨の中、東京は、上野から常磐線に乗り水戸へ、水戸から普通列車に乗換えて着いた所は、 茨城県大甕(おおみか)です。ここには、私の友人のお店でタイ古式マッサージサロン・シルクさんがあります。
サロンのオープン時期は多少の差はありますが、今年は、シルクも沙羅も共にオープン3年の区切りの年を迎えています。 そんなこともあり、シルクさんと沙羅は、遠く離れていても・置かれている環境が違っていても、 同じタイ古式マッサージサロンとして切磋琢磨している間柄なのです。でも、遠かったな~大甕(おおみか)・・。 と、思うもタイ式マッサージ210分をやっている間に着いてしまうのだ,と思い返し、 遠かった大甕というよりそんな長い時間、至福のタイ式マッサージを受けてみたいと、 感じるところは、別の次元へ・・・です。
上野のから乗る列車は、東京から名古屋・大阪と南へ下る時と違って、今も尚、郷愁を思い起こさせる感があります。
どこかで故郷の便りを乗せて入る列車のなつかしさ上野はおいらの心の駅だ~~・・・・上野駅には、 井沢八郎のメロディが良く似合い何だかもの悲しさを感じてしまいます。(はい、はい、私は、それなりに古いです。)その昔昔、幼かった頃、母と妹と連れ立って乗った夜行列車。 両親の里が秋田ということもあり何度となく上野から列車に乗ったものです。 窓の夜露を幼い手で拭き拭き真っ暗な外を見ながら長い夜をゴトゴトと揺られながら・・・。
そんな光景を思い出すと、必ずよみがえってくるのが、隣の席にいたおじさんに大事お金を盗まれてしまったことです。 (盗まれただろう?です。現場を見てないので)母と妹がトイレにたった時、残った私が、 母を追いかけ荷物をおいて席を離れてしまったからです。戻った時におじさんはいませんでした。 そしてお金も無くなっていました。裕福ではなかった我家にとって大事なお金だったはずです。 そのあと、母はどうしたのか?未だに聞けないでいるのです。
さて、大甕(おおみか)の町は国道と国道に挟まれた細長い町で日立の工場が何箇所もあります。 町は郊外型の新しい店舗が増えているのに駅界隈は、空き店舗もちらほら、少し寂しい感じがしました。 でも、直ぐそばに素晴らしい太平洋がのぞめます。目の前に広がる海の波を見、遠く水平線を見たときは、 自分も一緒に溶けちゃいそうで、言葉には出来ない感動でした。直ぐ側に大海原、その海原に抱かれてのタイ古式マッサージです。
シルクさんは、数多くの苦労を乗り越えながら、 そして今もまだ苦労を背負いながらこの町で生き生きと活躍していました。 今の時代、電話やメール、遠く離れていてもお互いの近況は、分かり合えますが、 相対して顔を見ながら同じ時間を過ごすことは、より相手を知ることが出来、心を共にすることが出来ると思いました。タイ古式マッサージに魅せられた、50う・ん・さ・い の女が二人、今日も雄叫びを上げながらも控えめに? それぞれの地でワイ(合掌)して頑張り続けています。 旅の最後は、沙羅とシルク、頑張る50代、これから頑張ろうとしている50代にエールです。 フレー!フレー!