バーンロムサイを尋ねて◇旅行記④
チェンマイの郊外、緑豊かな川沿いの道を奥深く行った所にバーンロムサイはありました。 日本で某新聞の記事を見てから、次回の渡タイには、どうしてもこのエイズの子供達の施設である バーンロムサムを尋ねたいと考えていました。 考えていたとしても私に出来る事は、ここのゲストハウスに宿泊することくらいしかできないのですが・・・。 (宿泊料金が子供達のために使われるそうです。)やっと来ることが出来ました。
細い路の脇から中に入っていくと可愛いい子供達の走っている姿が目に入ってきました。ゲストハウスは、2棟で今日の宿泊は私だけです。「ゲストハウスはこの門から向こうで す。」と案内され、ちょっと感動しました。その広々とした緑の庭園ときらきらと太陽の光をはじくプールが、 今日と明日、私だけの空間なのです。
プールで泳ぐ二人の姿におもわずかけより声をかけました。 「こんにちは。」「どちらからです?」定番の如くに聞いていました。 もちろん日本の方で、その内のお一人が、以前ここでボランティアをしていたそうです。そのお二人もいなくなった、静かな夕暮れに素敵なオープンリビングで1人瞑想をしていたら、 はるか空の向こうからゴロゴロと音が、風がわさわさと。不吉な予感です。夕暮れが色濃くなった時、ぴかぴか!ぴかぴか!ごろごろ!ごろごろ! あっと言う間に半端ではない雨・風が、それにも負けず浸っていると、 向こうの門から傘をさした人影が近づいてきました。 バーンロイサムのスタッフの方で雨の中、食事を運んできてくれたのでした。 基本的に食事は自分で用意するのですが、 子供達と同じものでよければということでお願いしてしまいました。
「停電みたいです。」「ロウソクはここにありますから」と言われ、 「え!」です。それでも、すぐに復旧するだろうとあまり深刻には考えていませんでした。 彼女が行ってしまった、リビングにロウソクを灯しながら、 巻き上がる風と共にばらばらと降る雨に「自然だな~」と、 変に感動して1人寂しくテーブルについていました。あたりが、真っ暗な闇となり響く雷鳴が、頭上でひっきりなしに轟き始めた頃、 まだ、電気が点かず、それにも増して水がでないことに気がつきました。 「み、水がで・な・い」「ひぇ~」「 戻ろう部屋へ」一人つぶやく私。
部屋の中は真っ暗闇です。近年、闇など体験したことがない私、 ロウソクとライターを持ち手探りで行きついた机の上に、ロウソクを灯しました。 1つのロウソクの灯りが、こんなにも明るく暖かなことに今宵は、心打たれてしまいました。
もう、何もすることもなく(何も出来ない)、話す相手もいない、 ゲストハウスの外にも周りにもだ~れもいやしないのです。 長~い夜の始まりでした。眠れなくて何度もシャワールームの蛇口を捻りに行ったり、 電気のスイッチをひねったり、外でがさがさと音がするとびくっとして。何だこれは・・・。
朝、清々しく雨にぬれた芝生の緑濃く、光輝いている様は、本当にきれいでした。おそるおそる捻った蛇口で「しゃしゃしゃ」といいながら流れ出てきた水に、 おもわず、ありがとうと言っていました。
今日は、バーンロムサイの施設内を見学させてもらいます。 ボランティアのスタッフの方に案内され最初にビデオを見ました。 がじゅまるの木の下で皆が一つの家族であるというバーンロムサイ。この施設の出来るまでの皆様のご苦労、また今日に至るまでに亡くなっていった沢山の幼い命にどうして! どうして、死んでいかなければ成らないのか?と心が痛みました。 現在、抗HIVワクチンにより発症が抑えられているそうですが、 子供達は、毎日、薬を飲み続けなければならないのです。 告知について、子供達が思春期になった時について、自立して生活していくことについて、 いろいろな問題を子供達の成長とともに向き合っていかなければならないとおっしゃっていました。 施設も最初の設立時に比べると新しい建物が建ち広くなったそうです。 2006年4月
大きな家族「バーンロムサイ」について
バーンロムサイは両親をエイズで亡くし、自分たちもHIVに母子感染した孤児たちの生活施設です。 イタリアの服飾メーカーの日本法人、ジョルジオ アルマーニ ジャパン社の資金協力を得て、 1999年12月にタイ北部のチェンマイ市郊外に開設されました。 開設7年目に入った現在、3歳から14歳まで30名の子ども達が暮しています。
<各種沙羅リンク>
タイ古式マッサージ沙羅/求人
タイ古式マッサージスクール沙羅
タイ古式マッサージ沙羅/過去Blog ライブドアー